紺屋地車 紺屋のだんじりは大正十年に紺屋が新調
大工棟梁「大若」こと高橋門下の森某氏?
彫物責任者は西本舟山、助人は開正藤を初めとして、正藤跡目生a、同じく舟山跡目五葉親子等に玉井行陽が参加して刻んだだんじりです。

彫り物は大屋根枡合の正面は楠公父子桜井の驛ノ決別、右は小桜合戦布引の滝、左は鎮西八郎為朝の豪弓
大屋根虹梁は青海波
小屋根枡合の正面は忠信碁盤投げ、右は村上義光錦の御旗奪還、左は児島高徳桜木に歌を詠む
小屋根虹梁は松に朱雀
勾欄は花鳥風月
松良は義経記より右は牛若丸鞍馬山修業の場、左は安宅の関弁慶義経懲打

縁葛正面は福島市松の強力、右は日吉丸こ小六矢作橋の出会。左は虎之助初出仕
土呂幕「賤ヶ嶽合戦」より正面は大岩砦、中川清秀の最期、右面は福島正則拝郷五左衛門討取、左面は加藤清正山路将監討取
小連子「太閤記」より正面は秀吉茶坊主に化け難を逃れる、右は脱兎のごとく逃げる秀吉、左は太郎助瓜献上
大連子「太閤記」より正面は桶狭間今川義元の最期、右は秀吉本陣佐久間の乱入、左は前田犬千代初陣

見送りは難波戦記となっています。

昭和五十八年老舗大常の三男古谷義男氏の手によって大修理されました。

令和六年 藤本工務店 藤本忠浩師により大修理。
大修理時、木彫松田 松田修一師により番号持ち、半松良、水板、松良受け、脇障子受けが彫替えられている。


中家資料には紺屋の記載はありません。

平成十七年十一月には熊取交流センター煉瓦館の開館イベントで煉瓦館内にだんじりが展示されました。
紺屋地車庫 紺屋のだんじり小屋は永山病院から紺屋区に入り酒屋を右に曲がったところのお寺の向かいにあります。
平成十四年に小屋のシャッターが電動シャッターに変更されそのときにシャッターに法被の紋が描かれました。
だんじりの大きさでいえば小さい部類に入りますが、紺屋区内の道をとおってみればわかると思いますが、細く曲がりくねっているため、この大きさが精一杯なのかもしれません、祭礼参加人数も少ないですが、紺屋区全員参加で祭り盛り上げてます。