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朝代のだんじりは大正十一年新調 十年間の積み立てをし当時としては大金の五千五百円を用し製作しました。 大工棟梁は地元朝代出身の朝代市松 彫物責任者関東彫の一元林峯、助は吉岡義峰・森晴秋と一元一門等 「朝市」が地元に残した名作だんじりです。 彫り物は大屋根枡合及び兜桁上竹の節「昇龍、降龍」が有名でそれを模して朝代の纏は龍の絵柄が彫られています。 大屋根枡合は神話伝説より正面は天の岩戸、右は神武東征八咫、左は神功皇后三韓を征し給う 大屋根枡合二重枡合右は源三位頼政鵺(ぬえ)退治、左は茨木童子片腕奪還 大屋根虹梁は波濤に浜千鳥 小屋根枡合は義経記より正面は勧進帳、右は佐藤継信横川覚範を討つ、左は佐藤忠信の最期 小屋根虹梁は菊に朱雀 松良は義経記より右は鞍馬山牛若修業の場、左は義経主従高館落ちの場 縁葛は灘波戦記より右は大坂城内、左は大坂城落城等 大連子は忠臣蔵より正面は上野介召捕り、右は清水一学の奮戦、左は吉良邸討入内蔵助の雄姿 小連子は太閤記 土呂幕正面は川中島之合戦・川中島信玄と謙信龍虎相討つ、右は糟屋助右衛門之勇戦、左は山内一豊之勇戦 見送りは大坂夏之陣 岸和田南町の先代地車(現高石市高磯二区)とは兄弟地車 昭和五十六年朝代市松名工の流れを汲む「吉為」こと吉為工務店・吉野為雄師が見事に大修復 修理修復時の彫り物は、筒井和男一門が引き受けているが松良彫物のみ播州揖保郡・小河義保師が刻んでいる。 平成十年にも岸和田植山工務店にて大修理を行っています。 朝代は宵宮の宮入りには宮一番で宮入りします。 先代のだんじりは彫り物の大きな上だんじりだったといわれています。又、中家の資料によると天保十二年には荷いだんじりを保有していたことが記載されています。 |
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朝代のだんじり庫は京大原子炉前をJA南支店側に入り府営住宅を抜け坂を下ったところを右折したところににあります。 聞くところによるとその昔は、住宅地の橋の近くにあったらしいが、諸事情があって現在の場所に移ったということらしいです。 小屋の扉は観音開きです。 |
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朝代では平成七年法被のデザインをそれまでの青色から現在の黒いデザインに変更しました。 個人的には好きな法被のデザインのひとつです。 だんぢりは平成十年の修理によって、一回り大きくなってなっています。 だんぢり小屋の前は広くだんじりを小屋から出しても車道に出ないようになっていてなかなか考えられた建て方がされてます。又、画像にはありませんが、小屋の右隣は消防団倉庫で火災に対しても万全?です。 |